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「貧乏臭い」


 

貧乏くさい人は、貧乏では、ありません。

普通に見たら、「お金もち」に見える人であっても、

自分のくらしを、自分のもつ経済レベルより上に見せようとする人は共通して貧乏くさく見えるものです。

たとえば、私は、現在車通勤しています。

通勤中に、東京(品川、練馬、足立、多摩)、横浜、湘南ナンバー以外の外車を見かけた時です。

たとえば、大宮ナンバーのベンツ、習志野ナンバーのBMW。

野田ナンバーの車が「クラウン」や「レクサス」だったなら、見過ごす風景なのですが、

ベンツやBMWだけに哀しくてしょうがないのです。

 

たとえば、お客様がローレックスの時計をしているとします。

しかし、スーツは、くたびれ、靴は、踵が減ったまま修理もしておらず、

ベルトもメッキが剥げてしまっている状態だとしたら、どう見えるか。

本物のローレックスすら、「偽物のローレックス買ってまでもローレックスしたいのって貧乏臭いよね」

とまで思われてしまいます。

きっと貧乏臭さというのは、「ワンランク上の人間に見られたい」という気持ちから発生してくるものなのでしょう。

 

「お金持ちになりたい!」というハングリーな気持ちとは違いただ、ワンランク上に「見られたい」という

みみっちい気持ちが貧乏神ならぬ貧乏臭神を呼び寄せてしまうのです。

少しくらいお金に余裕があっても、本当に豊かな生活を望むのは、無理、だから、

車だけ、時計だけといった1点豪華主義的な趣向に走り、かえって、「豪華」の周辺にある貧しさだけが、際立ってしまう。

 

池袋にキャバレーや居酒屋ばかりあった時代は、一軒一軒の店の汚さは、気にならなかったけど、

そこに、立派なホールや、デパートが建ってしまうと、残ったキャバレーが、やたらと薄汚く見えてしまうものなのでしょうか。

日本の昔の写真や映像を見ていると、日本がまだ貧しかった時代のほうが、

今よりも全然、街も人も貧乏くさくないことに気付きます。

豊になるにつれ、どんどん貧乏臭くなっていった日本。やっぱり、こういうのを、「貧乏性」と言うのでしょうか。

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