年賀状とは、その内容よりも、とりあえず、「出した」という事実が大切なものです。
市販の年賀状にPCで、作成した宛名だけであっても、「出さない」という選択よりは、ずっとまし。
年賀状におけるゼロと一との差は、とてつもなく大きいのです。
特に、「こちらからは、出しているのにあちらからは来ない」というのは、「無視か」「私には、返事も書かないってことね」と、人の心を不安にさせるのでした。
印刷された年賀状には、手書きで、書き添えるのが、礼儀、ということになっています。
この時につい書きがちなのは、「たまには、お会いしたいものです」とか「今年こそ、飲みましょう」みたいな一言。
しかし、この手の言葉を年賀状に書いてきた人と、その年に本当に会ったり、飲みに行ったりすることは、ほぼ確実にありません。本当は、会う気が無いのに、書くことが無いので、つい書いてしまったという「たまには」なのです。
「たまには、会いましょう」的な言葉は、本当にその人と3月くらいまでには、会おうと思っている人のみが、書くべきなのです。
不用意な「たまには会いましょう」で、ちょっぴり心を傷つけている人は、意外とたくさんいるに違いありません。
では、余白に何を書けばいいのだという問題ですが、「去年は、箱根に行きました」などの旅行関係、「先日食べたフグは、美味しかった」という食べ物関係などで、小学生の絵日記並に事実そのままを書いてお茶を濁しているのが、現状。
考えてみると年賀状というには、ずいぶん残酷な習慣なのです。
自分の家族関係というものを、年に一度、年賀状によって知り合い皆に公開しなくてはならない。
離婚をしても喪中にならないので、年賀状は、書かなくては、いけません。それは、自分が、普段どれほど人と交わっているのかを計る物差しでもあります。
年賀状書き作業をする時間は、そんなことをすべて自覚するために必要な時間かもしれません。
決して思い通りにならない人生をいうものを、受け入れるための、修行のようなものなのでしょう。
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