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お笑い国政選挙シリーズ

2009.0902

お笑い衆議院選挙 2009

年初における筆者の予想は「民主党が第一党になるも、単独過半数は獲得できず」であった。投票日10日前の各種予測はことごとく「民主300越え」であったが、それでも揺り戻しがあり、せいぜい過半数を少々上回る程度か、と思っていただけに、民主党大差の勝利に唖然呆然とし、立ち尽くすばかりある。すっかり「予想能力」に対する自信を失ってしまったが、勇気を奮って民主党圧勝の要因を分析してみたい。
新旧党首の政治資金問題や16兆円の財源問題、防衛問題の不安も何のそのの民主党 圧勝の要因(自民党の敗因)については、マスコミでいやというほど解説されているので、ここでは恒例により、社会学的、心理学的立場から分析してみることにする。

1.選挙民の選択基準は4年前と同じ(心理的弱者の立場)
選挙民はしばしば心理的弱者と云う集団催眠状態に陥る。4年前も今回も選挙民の関心は、国民の財産をいかにして特権階級(既得権者)から自分達弱者の手に取り戻すか、それを実行してくれるのは誰か、にあったように思われる。

特権階級(既得権者)に祭り上げられたのは表現こそ違え共通して「官」であり、その表現は4年前の自民が「郵政民営化是か非か、官から民へ」、今回の民主が「脱官僚、ムダ使いの根絶」であった。

郵政民営化を突破口にし官から民への流れが出来れば経済が活性化し、果実が選挙民(弱者)に分配される、と連想させたのが4年前の自民党で、官の無駄使いを止めさせ、直接的に選挙民(弱者)に振り向ける、と訴えたのが今回民主党であった。

悪代官を退治してくれるのが4年前の「小泉黄門様」から今回の「政権交代様」に代っただけのお話と云うこと。シナリオ作者は小泉と小沢で、小泉の選挙民(弱者)掌握の巧みさを真似て、より選挙民(弱者)が飛びつき易いネタを仕込んだのが小沢と 云うこと。アイデアが小「泉」から小「沢」へと流れ出たものと思えばよい。
2.政権交代への潜在的な希求
拙文「お笑い衆議院選挙2005」で、前回選挙は疑似大統領選、疑似国民投票の要素があったと述べたが、選挙民には大統領選、国民投票と並んで潜在的に政権交代への希求もあったのではないか、と想像している。変化へのアレルギーや政権担当能力への不安などから、その希求は「自民党内政権交代」で紛らわしていたが、安倍以降 の内閣の不手際も手伝い、政権交代への潜在的希求が一気に顕在化してしまったものと思われる。

小沢が自民党内で権勢を揮っていた頃、「流れは限りなく保守2党へ向って行くんだ !」と政治改革(選挙制度改革)論議の最中に絶叫していたのを思い出した。資本主 義対社会主義の対立軸をベースとした55年体制の区分けでみれば、紛れもなく今は保守2党時代だが、それでも政権交代へのアレルギーが強かっただけに、如何に選挙民が自民党に失望したかがうかがえる。
3.どっちつかずの自民党の政策
言葉として適当かどうかはともかくとして、保守2党時代の対立軸は、「市場か政府 か」或いは「大きな政府か小さな政府か」であるが、選挙民の暗黙知は、「官僚対庶民」と云う対立軸である。選挙民に分配を厚くすることは往々に大きな政府をもたらすと云われており、バランスの取れた政策立案は困難を極める。今回の両党の主張をみると、民主党は明らかに分配(バラマキとも揶揄された)に軸足を置いているが、自民の方は曖昧であった。前回郵政選挙の余韻もありはっきり打ち出せなかった不運もあるのかも知れないが、分配寄りであったともみえる。同じ方向なら、より鮮明な民主案に乗ってみようか、との選挙民の選択もあったように思われる。

選挙戦終盤で麻生が、「行き過ぎた市場原理主義の排除」と得意げにぶち上げたのには驚かされた。市場原理主義と云う言葉はご本家の小泉・竹中ラインでも口に出したことがなかったはずだ。選挙民には、「そうだったのか」と小泉改革に疑念を持たせ、リーマン・ショックから始る経済危機の原因までをも連想させ、投票行動にはマイナスに作用したものと思われる。

ついでながら、麻生が学者キャラでもないのに、「日本経済は全治3年」とか「百年に一度の経済危機」、「行き過ぎた市場原理主義」と云った言葉を発すれば発するほど、「漢字も読めないのに何を云うか」と反発が強まったように思う。哀れを誘ったのは前回選挙の象徴的な存在である片山さつきの選挙戦である。自身の基盤であるはずの郵政民営化や構造改革には一切触れず、土下座して懇願している光景には笑わされた。

結果論ではあるが、自民が小泉構造改革を継承した政策を前面に出していたら、負けたにせよ、これほどまでには差がつかなかったのではなかろうか。
4.オバマ大統領出現の影響
心理的には大きな影響を与えたものと思う。米国は黒人の大統領を選択し変化を図ろうとしている、それに比べれば政権交代などは大した冒険ではない、その程度の事ができないでどうする、世界の変化の波に乗り遅れてしまうのではないか、との心理が働いたのではないか。

小泉が選挙前に、今回の選挙のキーワードはチェンジだ、と云っていたのが印象に残る。やはり政治的な目利きのする人材なのであろう。
5.すべては4年前にあり
タイゾウ君でも当選してしまう劇場型選挙の威力の前に、当の自民党の議員自身が催眠状態に陥ってしまったようだ。ひたすら国民的人気がある(とマスコミが根拠もなく吹聴した)人物を総裁に選んだ結果はみての通り。この話は多くの有識者が指摘しているのでこの辺で。

(参考)

お笑い参議院選挙 2007

2007.0731

小泉劇場と云われ、自民党が歴史的な大勝を収めた郵政選挙から2年足らずで、参議院選挙とは云え、歴史的大敗を喫するとは、誰も想像だに出来なかったであろう。
前回選挙の時の結果分析を参照にしながら、今回も社会学的、心理学的観点から分析してみた。全てにわたり、前回衆議院選挙の裏返しである。

1.政権選択の選挙ではなかった(安心して野党に入れた)
民主党は政権交代へのステップと位置付け、小沢代表が、「負けたら辞任」と表明したが、誰も取り合ってくれなかった。
自民党は最初から、政権選択選挙ではない、と煙幕を張っていたが、裏目に出たかも知れない。年金問題、閣僚不祥事への「お灸」的な意味合いの選挙、また「多数の横暴への漠然たる不安」への反作用的な選挙となった。
2.抵抗勢力が不透明
小泉前首相が、「安部内閣の支持率が低いのは、抵抗勢力がいなくなってしまったからだ」と言っていたが、名言である。
抵抗勢力は自民党内の守旧派ではなく(いなくなったので)、ひょっとすると自分達の事ではなかったのか、と思い始めた。改革の分け前が回ってこない事にも気づき始めた。
農民へのインタビューで、「60年間自民党を応援して、何もいいことがなかった」と云うのがあったが、保守王国での敗退の一因かも知れない。
3.三代目オーナー社長
苦労知らずのオーナー一族のぼんぼん社長への反発のようなものがあった。
安部総理は討論会で、他党の党首や聴衆が言葉を挟むと、「国民は私の話を聞きたいと思ってきているのだから黙ってくれ」と云う場面が度々あったが、「ぼくちゃんの言うこときかないとパパが怒るよ」と言っているように感じられたのではないか。
4.女性有権者からの距離感
小池百合子を防衛大臣に任命したが、仲良しのようにみえた。小泉さんを熱狂的に支持したおばさん達からみれば、安部首相とは距離感が出来た。
一方、男性有権者からみれば、誰も言葉にこそ出さないが、女性の防衛大臣には抵抗感があった。
5.ひたむきさへの評価
民主党の長妻議員を中心とした年金問題の追求が評価された。岡田代表の生真面目さは、小泉さんの存在の前では影が薄かったが、「こう云う地道な努力も必要なんだ」と漠然と理解させた。
6.勤労者対政府・官僚の図式
「悪いのは社保庁職員が働かないからだ」と言われても実感が持てない。社長が、「業績が悪いのは従業員が働かないからだ」と言っているように感じたであろう。郵政の時は、「郵政職員は楽して既得権者になっている」、と思わせる事に成功した。
以上、前回と対比しつつ思いつくままに記載してみました。毎度、政策の中身の議論でなく、申し訳ございません。

(参考)

お笑い衆議院選挙2005

2005.09.14

自民党に入れた人も、入れなかった人も唖然、呆然の選挙結果だったと思います。勝因・敗因分析は色々ありますが、ここでは政策論は抜きにして、 ここまで圧倒的な差が出た要因を社会学的、心理学的観点から冷静に分析 して見たいと思います。

1.擬似国民投票・擬似大統領選挙
(1)郵政改革是か非かの国民投票と錯覚させた。国民の間には議員を選んで託すのではなく「テーマ毎に自分が決定に参画したい」との潜在的な欲求があり、これにピタリとはまった。事実、周囲には「今回だけは」「郵政だけは」という人達が多かった。

(2)その上に民主党は「政権選択選挙」論を持ち出し、小泉、岡田とも負けたら退陣を表明したため、大統領選挙さながらになり、火に油を注ぐ結果となった。ここでも、米国みたいな大統領選をやり、国のトップを直接選びたいとの潜在的な欲求が働いた。そうなると、どちらが有利かは明白。
2.水戸黄門現象
日本人は大岡越前守や暴れん坊将軍も含め、お上の偉い人(善良な人)が悪人を懲らしめるドラマが大好きで、民衆が決起して悪代官を倒すようなシーンは一般受けしない。日本人のマインドに刷り込まれており、今回の反対派は「反乱軍」と呼称され、お上にたてつく悪党のように位置づけられた。
3.社長と平社員の直結
「国会で否決されたが、国民に聞いてみたい」のセリフは、社長が中間管理職や上司を通り越して、直接平社員に語り掛ける姿であり、このような場合、平社員は感激し「この社長のためなら」と犠牲を厭わない。
4.サドとマゾ(抑圧された快楽の解放)
(1)サディズム  これでもか、と云うほどしつこく刺客を送り込み、逃げ場もないように追い込んで行く姿は、人が潜在意識として持つ残忍性を満足させるものがあり、落選させるところで、残忍性は完結し、日常性に戻る。社会生活においては絶対に顕在化させられない部分のはけ口となった。

(2)マゾヒズム    「(女っ気の影すら見えない)小泉さんは私にも可能性があるもかも知れない、とおばさん達は錯覚している」とあるご婦人が言っておりましたが、的を得た指摘だと思う。このような場合は、文春の「ヒトラー小泉」の記事も全く逆効果である。 「私の小泉さんには独裁者になって暴君のように振舞って欲しい」と思うものである。鳥越キャスターが「小泉さんはセクシーなのだ」とコメントしておりましたが、彼は評価できます。(笑)
5.日本人はインテリが嫌い
戦場で戦っている時、作戦に異議を唱えるなどもっての他で、ただ突進あるのみ。戦記ものを読むと、このような現場指揮官は即解任(落選)させられる。敗色濃厚の時は、戦旗を燃やし、自決せよである。このマインドは変わっていない。バブルの時代の企業行動に似ている。
6.27万対5,300万人
郵政27万人が悪い人で、残りの5,300万人の勤労者はよい人のような錯覚を与えた。慎太郎知事が銀行を攻撃する時も同じ論理である。

以上、思いつくまま、記載してみました。真面目に政策の中身を論じられている方には申し訳なく思います。

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