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鳥井閑の小説

鳥井閑の小説(1)セカンドライフ
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 人は誰でも今の自分とは違った人生に憧れる。ある者は賢帝になって税金も戦争もない理想の世界を作ってみたくなる。ヨン様に恋される夢をみる女性もいる。仮想世界(セカンドライフ)に行けば、夢が実現するかも知れない。
  仮想世界に入らなくても、誰にも現役引退後のセカンドライフが待ち受けている。そんな年代に差し掛かった西本達は、ふとしたきっかけで俳句の会を始めることになったが、そこに至るまでには偶然と奇縁が重なり合っていた。

(以下本文28頁より)
  「何だ、『香織』でも『MOE』でも三人はつながっていたのか。俺達は仕事は一緒にやった事はなかったけど、似たような場所で動いていたんだ。結局は狭い水槽の中で泳ぎ回っていたんだな」
  傍で黙って聞いていた吉川が大き目のメモ用紙を貰うと、二つ折りにし、ポケットから取り出した万年筆で、上の段に小さな円を二つ描き、下の段には大きな円を二つ描いた。大きな円の方は一部が重なり合っており、その部分に斜線を引きながら言った。 
「人は活動の幅を広げると、世間は狭くなるってことかな」

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その後

奥の石道・みちのく編 2008年7月18日(金)〜21日(月、祭)

記録より記憶

石の会の「奥の細道を辿る旅」では元々役立たずで役割は空白となる処、お情けで「記録係」を拝命しておりましたが、誰も報告を期待していないものと割切っておりました。そこへ幸運にも「金庫番」を賜わり、いよいよもって記録係はお役ご免、と勝手に解釈させて頂きました。
会計係殿が出費の度にメモされておりましたが、記録係は何をメモすれば良いかの取り決めもない事をいい事に、また下手にメモを取ると、句作の下書きではないかと、疑惑の目で見られる事もあるだろうとの、これまた勝手な推測を働かせた次第であります。と云う訳で記憶の範囲で、駄句(投句済を含む)を交えながら時系列的に、自分中心にご報告させて頂きます。

18日
新幹線が仙台に近づくと小雨模様。
みちのくに恵みの小雨青田原

 仙台は壱弐参横丁「鳥よし」で、東北大の先生、IT企業の若手社長と懇談。
押さえ気味に飲むも切り上げる時間を間違え、仙石線は座れず、一兎さんとは石巻で会う。素頓さんの出迎えの元、石巻の元「とりよし」のママさんを加え高級寿司店「助六」とスナックDominasへ。

  名物の穴子の握り石巻

 夫婦で経営の代行車を呼ぶ。駐車場へ出発直後、路上のお兄さん達に待ったをかけられ緊張が走る。傘を忘れただけの話でした。

19日
石田邸で朝風呂と「ゆきさん」心づくしの朝食で満腹。8:20出発。

  短夜やBGMはモーツアルト

 石巻から山形北まで全て高速道路も、1時間の予定のはずが2時間もかかり山寺へ到着。摩天さんを出迎える。腰痛にはきつい階段を上る。
この時ばかりは「記録係」の自覚あり、階段を数える。922段。

 山寺の石段芭蕉の汗ありや
 岩肌に貼りつく苔と修行堂

途中、地震があり身構えるも大過なし。昼は「信教坊」で「板そば」。量に圧倒される。芭蕉記念館を覗き、一路鳴子へ。山刀伐峠には細い山道を一兎さんの運転で向かう。これはヒットであった。山寺でも気づいたが紫陽花が鮮やかだ。

  上るほど紫陽花の青極まれり

封人の家は名物の弁士のおじさんが病欠で拍子抜け。分水嶺へ。

  分水嶺右も左も草いきれ

尿前の関の跡の光景に唖然としながら、鳴子ホテル到着。タイミング良く泰山宗匠さまも着き、これで勢揃いとなる。評判の美人女将を句会に誘いながら温泉、会食、「滝」の句会。女将は現われず。

  湯煙のホテルの女将合歓の花

20日

高齢者の朝は早い。待ちきれず、朝風呂へ向かう者あり。9時出発。

  配られし団扇の絵柄コマーシャル

鳴子峡の絶景をみながら芭蕉ラインへ。

  凌霄(のうぜん)の花みちのくの道標(みちしるべ)

お茶やお茶菓子を買い込み10:40頃乗船。

  売店に今年最後のさくらんぼ

ガイドの親爺の名調子に聞きほれながら下る。「芭蕉が舟に乗らなかったらただの川と山」に一同納得。

 緑陰を削りて早き最上川
 大滝はべこの涎か最上川
 老鶯の声流れ行く最上川

昼用に会計係が団子を購入した直後にラーメンを直訴する者あり急遽変更。
ところが当の本人には味が合わなかったようだ。羽黒山に向かう。
到着したところがすでに山頂だった。ご本山を参拝後、五重の塔へ。

  木下闇五重の塔と爺杉

月山と湯殿山はあきらめ早めに一路湯野浜温泉へ。日本海の夕日はかすか
に見えただけ。

  一閃の夕焼け望郷日本海

お座敷バイキングは初めての経験だ。諸論あったが、句会を開き、その後カラオケで都合12曲。

  温泉の浴衣肌けて馬鹿話

21日
高齢者は毎朝でも早い。朝風呂の後に夏の浜へ出て散歩。

  テントより顔出す男女朝の浜

最終日は象潟へ。道の駅で西施像を見学。西施の出身市とこのネタだけで姉妹都市になった事を知り仰天。芭蕉さまの力を知る。蚶満寺、九十九島を見学し、酒田に向かう。鳥海山はかすかに見える。緊縮財政で昼は昨日買った団子、漬物と素頓さんが執念で冷凍した蟹とつぶ。

  お土産の茄子漬け食らう道の駅

慌ただしく本間邸を見物して、山形へ。途中、道を間違えたかような気もしたが無事到着。お疲れさまでした。

  万緑や芭蕉の魔力永久にあれ

(完)


奥の石道・北陸道編 2009年7月18日(土)〜20日(月、祭)

記録よりも記憶(その2)

先週一週間忙しく、ようやく報告の時間が取れました。記録係りを拝命されながら、「記録よりも記憶」を標榜していましたが、その記憶も賞味期限ぎりぎりで色褪せてしまった事をお詫びします。
昨年同様駄文を隠すために、粗製濫造の句を並べ立てさせて頂きましたが、作者名のある句は宗匠選句の秀句でありますので、締った部分もあるものと思います。

7月18日(土)
11:59摩天、素頓、鳥閑の三人が長岡着。閑が北陸新幹線に乗るのは確か2回目。長いトンネルを抜けると霧模様。

  冷房の強き車中や稚児の声
  トンネルを抜けてそのまま夏の霧

素頓の当初計画では、長岡から本数の少ない電車、バスで回る予定であったが、不便さを見かねた一兎が、その後の家族旅行も兼ねて車を出すことになる。紆余曲折を経て泰山が所沢で合流して同乗し、新幹線組と長岡で合流。
昼食は蕎麦の小嶋屋。鳥閑の知人から得た情報と、素頓が市役所から紹介された店が一致。「野菜天へぎ」とアルコールを頂く。
一兎車に5人が乗り、芭蕉の足跡を辿る旅北陸道遍が始る。同乗はもう一人、ソニー家生れの298のナビ子。以後、運転する一兎とナビ子、助手席のナビ男こと素頓の掛け合いや言い争いが続く。時に後部座席の3人が割って入るも役立たず。ナビ子は旅の終わり迄主に馴染めなかったようだ。
運転に関して付記すると、素頓が日替わりで交代する案もあったが、また摩天、鳥閑も免許証を持参するも、ついに最後まで一兎がハンドルを手放さず。鳥閑はしきりに運転希望(特に親不知あたり)を出すも、取り合って貰えず、不完全燃焼。免許証携帯も無駄になるかと思われたが、思わぬところで役に立つとは、は夢想だにせず。
先ずは出雲崎に向い、良寛記念館、良寛堂、芭蕉園、光照寺(良寛剃髪の寺)を見学。

  夏に来て良寛庵の沖つ波     一兎
  芭蕉碑をなぞるが如し蟻一匹
  主なきのうぜんかずら光照寺
  青梅のころりと良寛剃髪寺    鳥閑

時折雨模様の曇天で佐渡は見えず。鵜の浜に早めに到着。民宿「村中屋」には温泉がない。浜辺の人魚像を見学しつつ、「人魚館」の温泉に入る。

  さざ波に夕陽かくれる夏の海   素頓
  梅雨空の名残仰ぎし露天風呂

夕食は大広間に石の会一組だけ。料理は豪華だが、素頓に急かされ七月句会開始。句会後はそのまま大広間でカラオケ大会。カラオケ時間制限があり、以後の計画もないため9時に消灯。快挙か暴挙か?

  クーラーを止めて消灯未だ九時

一部屋に泰山も含め5人が雑魚寝風。泰山の寝場所は一番奥に落ち着く。
寝息、いびきなどは嘘か誠か、駆け引きか。
深夜突然、何かを叩く音が響く。さてどうしたものか。結局誰も取り合わず穏便に済ませる。

7月19日(日)
頭がすっきりしないまま、朝を迎える。観光地引網の見学に行くと、虹がかかっていた。

  鶏とともに老鶯時を告げ
  明け早し網引く浜の人魚像    泰山
  地引網小魚跳ねし朝の虹

朝食は昨夜と同じく大部屋だが、今朝は他の組も同席。鯵の開きや鮭の塩焼き等ではなく赤魚の粕漬けが出た。予定通りの時間に出発。雨は止み、日差しもあり。

  真中に胡瓜の糠づけ朝の膳
  北陸道木々の合間に合歓の花
  眩しさもそこそこ夏の日本海

親不知近くでナビ男が眠ってしまい、一旦通り過ぎる。下り7分、上り10分と書かれた急階段を下り、波打ち際へ。古の人が通った道を想像し恐れおののく。ホテルの喫茶は宿泊者以外は受け付けず、展望台へ。
佐渡は見えず。佐渡と能登の方向表示がおかしいとの声もあり。

  見下ろせば緑のヴェール親不知
  万緑や錆びた手すりの親不知
  滝音とともに下り行く親不知
  夏の海東は佐渡か西は能登    摩天

親不知ピアパークと云う処まで戻り一服後、市振に向う。
桔梗屋跡には何もなく虚しい。折角だからと「遊女の句碑」を探す。
街道際の長円寺に見つける。

  土用波遊女の宿はなかりけり

高速道に乗り一路新湊へ。ナビ子の案内に従って行くと、高岡古城公園あたりに迷い込む。主の指示間違いの可能性も否定できない。
庄川の橋まで戻って渡り、海岸縁の道をゆっくり走り、ようやく放生津八幡宮に辿り着く。時折強い雨模様。

いよいよ昼食だ。パンフレットを見ながら寿司屋横丁を探すも、影も形もなし。尋ねようにも人影もなし。結局、ファミレスCOCO'Sでカレーやスパゲティの昼食となる。

  梅雨名残寿司屋横丁鉛色

金沢まで260キロと聞きぎょっとするも、実際は46キロほど。この日の宿、R&Bホテルにはすんなり着く。1時間程度の休息を取り、吟行句会開始のはずが、素頓が現れず。眠ってしまったそうだ。句会報告は別途。
素頓が途中で仕入れたマス寿司とビールで空腹感はなく、義務的に金沢市内へ繰り出す。出雲崎の妻入りの町並み、市振、新湊とどこも人影がほとんど見えなかっただけに、久し振りに街の賑わいを見て安心する。
片町や香林坊までは行かずに、駅近くの居酒屋「海ん中」に入る。気合は入らず、早々切り上げる。

7月20日(月、祭)
パンとコーヒー程度のホテル備え付けの朝食を取り、金沢市内散策に向う。
後部座席の鳥閑のナビ不調で港に迷い込む。お蔭で自衛艦の出港場面を見学できる。

  羅や水兵手持ち無沙汰なり
  自衛艦鯵釣る人も見送れり

犀川大橋際の駐車場に車を預け、願念寺、妙立寺(忍者寺)を見学後小松に向う。小松市役所観光課推奨のうどんや「中佐中店」で「ざる会席」を賞味したところで、摩天より会費を収めた財布が見当たらないとの報あり。
落としたとしたら金沢の駐車場あたりと思われる。小松駅西口交番に届け出る。残金もさることながらJALの株主優待券が痛い。冒頭の免許証が役立ったのはこの時ではない。
素頓事前視察の建聖寺を訪問。芭蕉木造を手に触れながら見学。素朴な感じの住職とおかみさんに好感を覚える。安宅の関を見て一路空港へ。

  芭蕉像囲みて広し夏座敷
  青蔦や神社の奥の安宅関

一兎とはここで別れる。優待券が使えず東京まで通常料金の24,200円。
お土産を探していると泰山から電話があり、カウンターへ急ぐ。早い便への乗換えか、と思って行くと、用件は高齢者割引の適用であった。
年齢確認のため免許証を提示、免許証に感謝だ。瞬間、4,100円引きの20,100円と間違えたほどの大幅値引きで、優待券より有利な14,100引きであった。少々遅れたが無事帰京。(素頓は帰仙)お疲れさまでした。

  雲の峰越へて富士山拝みけり

(完)

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